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というか、レスポンシブルな仕組みで、その最少文字数が59文字のようです。
かつ、文字間隔と行間隔の寸法が違うので、図像としてまとまりません。
入力画面に、直接ドットをレイアウトするのは、もうやめよう(笑)
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以下未調整
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インドでは、幾百をも数える少数民族が、測り知れぬ古い過去を負いながら人里離れた生活を続けている。歴史の流れに超然として、四季の変化に身を任せつつ、自分たちの小さい集団の独自性を守っている。西インドのグジャラット州では、少数民族として認定されたものが二十七あり、州の東端に住むラトヴア族はその一つである。
彼らは言うまでもなく極めて宗教的である。換言すれば、彼らは日常、神々や祖霊と生活しているのである。それを支えるものは、口伝によって伝えられ繰返し頌誦される神話であり、聖化された壁面に描き出された神々の像であり、その前で行われる祭儀である。
彼らの住居の内部は泥壁で仕切られ、その主室を囲む三面の壁が神々の登場する聖なる舞台となる。先ず壁面の周辺に極彩色で連続菱形文の枠が描かれて聖なる空間が準備される。幾つもの画題のうち主要なものは主神ピトロとその妃ピトリの婚礼の場面である。この二神は、特定の持物を手にした騎乗の姿で、他に多くの神々や随臣、さらに多数の馬を伴う。隙聞には人間や小動物などが多数登場するが、画面はほとんど馬の列で占められる。その馬が大きさも姿もすべて同じなのは、胴体を描くのに金属板の型を使うからである。彩色は手で行い、その胴体の文様や色は特定の意味をもっている。
私たちには、この人たちは童話の世界に住んでいるように見える。
神馬 壁画 1986年 ラ卜ヴァ族、チョタ・ウダイプール地区(西インド グジャラット州)
◆『十二支のかたち』柳宗玄 1995 岩波書店同時代ライブラリー214より抜粋 ◆
さて、iPadやスマホではどんなんなるかというと・・・スクリーショットでgoogle自動バックアップして、ここに添えようと思ったら、スクリーンショットは各デバイスだけに保存。「カメラ」アプリで撮影した写真だけが自動的にアップされるんですね。
あっちこっちの情報を手早く編集するには、道具の特質を理解しなければ・・・
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